大槌町から、釜石市、大船渡市、陸前高田市と沿岸部を南下しながら、説明を聞きました。
大槌町は当時、町長と役場職員39名が津波で亡くなり、今その役場を残すかどうかで町民が二分されているこということでした。
釜石市は大きな堤防ができつつあり、まちのなかにポツンポツンと新築の家がたちはじめていました。しかし空き地の方がまだまだたくさんです。
陸前高田市では、追悼施設で黙祷し、奇跡の一本松を見ました。
いまだに、窓ガラスが5階部分まで津波で流され廃屋となっている雇用促進住宅や、ガレキがのこる小学校などがありました。
復興の早いといわれていた陸前高田でもこんなにまだまだ、重機がまちの中に点在し土をならしている状況なのかと、愕然としました。
いまだに仮設住宅にいる人もあり、家を新築できる人はまだ少ないことがわかります。
復興住宅はたくさんたっていましたが、どこもマンション方式でした
コミュニティが作りにくいという意味がわかる気がします。
復興には、本当に時間がかかることを思い知りました。