東日本大震災から7年

仙台に来ました。

宮城県議の福島かずえさんにご案内いただき、東日本大震災から7年8ヶ月たったまち、特に、住まいがどうなっているのか、農業がどう再生されているのか、などを中心に教えていただきました。

まず、仙台市の沿岸部の東の仙台港から入り、フェリー乗り場からキリンビール工場などがあるエリアで当時ビールが流れた話や、なんと関西電力が火力発電所を新設稼働させていることなどを見ました。

次に少し南に下がり、蒲生地域の中野地区の日和山にある、地域のかたが手作りでたまり場をつくり集会を定期的にされている所に行きました。
当時、大学生だった息子さんお二人を津波で亡くされたお父さんが建てた家です。
この地域は、津波に集落がのまれその後、災害危険区域となり、仙台市の区画整理が行われこの地域には住めなくなってしまった場所です。
この地を離れたくない、この地で何があったか残したい方々の運動が続いていました。
私が突然お邪魔したにも関わらず、真備町のことをいったとたんに、それは大変でしたねとあたたかく迎えてくださりみんなで写真もとりました。
壁に書かれたお父さんの思いを思うと涙をこらえるのが精一杯で言葉がてませんでした。

さらに南にいって荒浜地区へ、災害遺構荒浜小学校に来ました。
児童や教師、住民が320人避難し2階まで津波か押し寄せた所です。管理人のかたが、丁寧に説明をしてくださり、映像や展示物もあって当時の貴重な資料が残っています。毎日平均300人が来場すると言う遺構です。
映像の中で校長先生が、避難の時の判断が大変であったことや、常に避難の効果的なあり方を考えていくことが大切であること語っておられました。

次にかさ上げ道路沿いをさらに南にいき、井土地域に来ました。
井土地域は100世帯あった町内は、10世帯まで減少。災害危険区域の指定が変更されたりで行政のやり方で翻弄された地域と言うことです。
すごいのは、災害後、井土生産組合という法人を立ち上げ100ヘクタールを米とネギを生産し、20代の職員を含めパートのかたなど十数人が働き、収穫祭も行われるなど活気にあるれていました。農業を集積と法人立ち上げで、成功させるには、全額公費で現状復旧だけでなくホジョウ整備を実施していることが大きいと感じました。国が9割、仙台市が後の1割を負担し、受益者負担をなしにしています。また若い地域のリーダーが中心になって反対もあったけどやりきれたということでした。
真備町も農業再建は数々の困難が予測され大変参考になりました。

最後は福島かずえさんの勝手連の事務所に行きました。
3人区で勝ち抜く福島さんの地域での信頼はすごいものがあります。
どこでも相手から親しみを込めて声をかけられていました。

半日ではありましたが、大変学ぶことが多く、忙しいなか私のために自ら運転し説明をしてくださった福島かずえさんに感謝です。
岡山でいかしていきます。