被災後の生活

我が家の義弟家族6人の避難生活は、毎日真備町通い、ガレキ泥だし作業をして昼過ぎにかえってくるを繰り返しています。
夫は、コインランドリーに通い大量の泥だらけの服を洗ってます
家の片付け作業で、姪の二人は、デザイン科を出たこともあり、自分の作品が泥でぐちゃぐちゃになっているのを見つける度に、あ〰️と声をあげて、少しましなものを見つけると、良かったーと泣みだくむという繰り返しです。
義妹は、気丈に黙々と作業をして、我が家でも気を使って、食事の準備から掃除までよくくるくると働いています。
考えると辛いので体を動かして気を紛らしいるのかなと思います。

義弟は職場も被災してまだ仕事が再開していないので逆に助かっています。でもいずれ仕事が始まり早島から真備町まで通わなくてはなりません。
車が3台共に浸水し廃車になって、現在は、民商の会員さんの善意で一台車をいただくことができてその車で何とかしのいでます。しかし、義妹はパートに行っていましたが車がなくていけないし、おじいちゃんも軽トラでうろうろできません。

着の身着のまま投げ出され、家も車もなくなり、思い出のしなも、おばあちゃんの高価な着物も私たち嫁二人の訪問着や喪服も、家電も、仏壇もタンスもすべてのものが災害ゴミと化してしまいました。

こんな喪失感の中でも、わが家で私の活動も支えてくれながら愚痴ひとつ言わず生活している義弟家族はすごいと思います。

きっと4600世帯の被災世帯の皆さんが同じように、困難をかかえながら、片付けしなから、くらしの復活を目指しているのだと思います。

私たちができることは、くらしとなりわい、学業を取り戻すために、行政と協力して力を尽くすことです。

がんばります