新春のおよろこびを申し上げます。

四回目の年女、午年が来ました。
これまでの12年間をどう生きたか、年女の機会に、思い起こしてみました。

ちょうど12年前の36歳のころは、早島町議として二期目に入りなんとか早島町になじんできたころだったでしょうか。合併に反対し、早島町の自立をめざして共同を広げたたかっていたころでした。早島町議として最後の三期目は、暴君町長の独裁政治に対抗し必死でした。真鍋町議へ引き継いだ後も、町長リコール運動などをたたかい、反独裁町政の一致点で町長選挙をたたかい勝利しました。早島町での町民が主人公の数々の運動は、私にとって「共同」とは何かを学ばさせてくれるかけがえのないものでした。
また、私自身は、2011年の県議選に出馬し、共倒れという苦い失敗をしました。現有議席さえ守れなかったこと、倉敷、早島区の伝統あるかけがえのない党の議席を失ったこと、申し訳なく、心に重たい石を抱えているような心持でした。
そんな時、東日本大震災が起こったときでもあり、岩手県の山田町や宮古市、福島県のいわき市などへのボランティア活動など体験をしました。こんなことあっていいのかという激しいショックをうけ、何もできなかったけど、被災地の深い悲しみと被害の現実を見ました。そして、住民の心をつなぐ現地の日本共産党議員の姿に、私が励まされ勇気と感動をいただいたことなど、「情けはひとのためならず」とはよく言ったもので私が元気をいただきました。
この間の12年間は、早島町での活動、県議選での失敗、被災地での体験など、なかなか早々あるものではない貴重な時を過ごしてきたなと思います。
とにかく、「どんな仕事も遊びも、全力で」をモットーにこれからもがんばっていきたいと思います。