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11月17日 決壊原因のレクチャーをうけました。

国土問題研究所の奥西一夫教授と磯部先生に真備町の末政川から高馬川と小田川決壊部で、現時点の決壊原因のレクチャーを受けました。
先生から直接現場で研究の成果を教えていただきとても勉強になりました。
仁比そうへい参議院議員と大平前衆議院議員とすみよりさとみ参議院予定候補とともに意見交換をしながら学ぶことができました。

今回のレクで、あらためて行政の調査の不十分さを感じました。
そして、現場で緻密な調査を被災者の視点での調査を聞き、ありがたくて嬉しくなりました。
被災者が主人公で、被害を検証し、これからのまちをどうするのかみんなで考えていくことが大切だと感じました。

 

大槌町の研修のあと、バスのオプションツアーに参加しました

大槌町から、釜石市、大船渡市、陸前高田市と沿岸部を南下しながら、説明を聞きました。

大槌町は当時、町長と役場職員39名が津波で亡くなり、今その役場を残すかどうかで町民が二分されているこということでした。

釜石市は大きな堤防ができつつあり、まちのなかにポツンポツンと新築の家がたちはじめていました。しかし空き地の方がまだまだたくさんです。

陸前高田市では、追悼施設で黙祷し、奇跡の一本松を見ました。
いまだに、窓ガラスが5階部分まで津波で流され廃屋となっている雇用促進住宅や、ガレキがのこる小学校などがありました。

復興の早いといわれていた陸前高田でもこんなにまだまだ、重機がまちの中に点在し土をならしている状況なのかと、愕然としました。
いまだに仮設住宅にいる人もあり、家を新築できる人はまだ少ないことがわかります。
復興住宅はたくさんたっていましたが、どこもマンション方式でした
コミュニティが作りにくいという意味がわかる気がします。

復興には、本当に時間がかかることを思い知りました。

災害対策の実態や課題、成果を学びました。

全国災害対策連絡会集会で丸2日みっちり全国の災害対策の実態や課題、成果を学びました。

2日目の分科会
私は「被災者本意の復興を考える」というテーマの分科会に、参加しました。

岩手県の取り組みに学び、あちこちの話もありました。
主なものは
◎災害公営住宅について
国は五年間で低減制度を終わらせるので6年目から収入のある人はとても値上げされるので、岩手県独自で減免制度をもっていること。
仮設住宅から復興住宅に入ってからの方が、孤立化し孤独死が増えること、6から7年にはいってから増えること
復興住宅は扉が重くお年寄りは開けられない、引き戸で外が透けて見える方が良い
孤立化を防ぐには最後は地域での見守りだけど、何度も引っ越し高齢化している被災者にその力がなかなかない、個人情報を開示し支援員を配置しコミュニティの確立のための丁寧な支援が大切。

社協の生活再建支援員の情報が地域やコミュニティと共有されていない。

◎子どもの心のケアの問題
災害から7年たってさらに子どもの精神科受診件数が5000件を超えていること、親の貧困や不安が子どもに影響している

幼稚園バスを復活させた

◎障害者の孤立化問題
避難の課題
要支援名簿の作成と個別支援計画を地域で100%作ることとさらに福祉避難所との連携が課題。

◎医療費、介護保険、無料制度を岩手県はいまだに続けている。医療費無理かは復興支援の試金石という位置付けで超党派で合意形成ができている。国も認めてきた
しかし宮城県は有料になってしまった。何が違うのか?
復興計画の違い-岩手県は復興計画の基本に憲法の幸福追求権と地方自治を置き、現場の地元の方々がつくってきた。一方宮城県は東京から偉い先生を呼んで、ゼネコン主導の計画をつくってきた所に大きな違いが出ている。

計画をまずどう作るのかが大切。焦らず地元の声をいかして行く

◎貧困対策で、高校生の貸与制の奨学金を創設し卒業後年収360万円以上稼ぐ人に返還義務がある制度を作った。実質給付制に近い制度となった。

◎これから国は10年で復興庁をなくそうとしているがそれは絶対にさせられない

などを学びました。

東日本大震災から7年

仙台に来ました。

宮城県議の福島かずえさんにご案内いただき、東日本大震災から7年8ヶ月たったまち、特に、住まいがどうなっているのか、農業がどう再生されているのか、などを中心に教えていただきました。

まず、仙台市の沿岸部の東の仙台港から入り、フェリー乗り場からキリンビール工場などがあるエリアで当時ビールが流れた話や、なんと関西電力が火力発電所を新設稼働させていることなどを見ました。

次に少し南に下がり、蒲生地域の中野地区の日和山にある、地域のかたが手作りでたまり場をつくり集会を定期的にされている所に行きました。
当時、大学生だった息子さんお二人を津波で亡くされたお父さんが建てた家です。
この地域は、津波に集落がのまれその後、災害危険区域となり、仙台市の区画整理が行われこの地域には住めなくなってしまった場所です。
この地を離れたくない、この地で何があったか残したい方々の運動が続いていました。
私が突然お邪魔したにも関わらず、真備町のことをいったとたんに、それは大変でしたねとあたたかく迎えてくださりみんなで写真もとりました。
壁に書かれたお父さんの思いを思うと涙をこらえるのが精一杯で言葉がてませんでした。

さらに南にいって荒浜地区へ、災害遺構荒浜小学校に来ました。
児童や教師、住民が320人避難し2階まで津波か押し寄せた所です。管理人のかたが、丁寧に説明をしてくださり、映像や展示物もあって当時の貴重な資料が残っています。毎日平均300人が来場すると言う遺構です。
映像の中で校長先生が、避難の時の判断が大変であったことや、常に避難の効果的なあり方を考えていくことが大切であること語っておられました。

次にかさ上げ道路沿いをさらに南にいき、井土地域に来ました。
井土地域は100世帯あった町内は、10世帯まで減少。災害危険区域の指定が変更されたりで行政のやり方で翻弄された地域と言うことです。
すごいのは、災害後、井土生産組合という法人を立ち上げ100ヘクタールを米とネギを生産し、20代の職員を含めパートのかたなど十数人が働き、収穫祭も行われるなど活気にあるれていました。農業を集積と法人立ち上げで、成功させるには、全額公費で現状復旧だけでなくホジョウ整備を実施していることが大きいと感じました。国が9割、仙台市が後の1割を負担し、受益者負担をなしにしています。また若い地域のリーダーが中心になって反対もあったけどやりきれたということでした。
真備町も農業再建は数々の困難が予測され大変参考になりました。

最後は福島かずえさんの勝手連の事務所に行きました。
3人区で勝ち抜く福島さんの地域での信頼はすごいものがあります。
どこでも相手から親しみを込めて声をかけられていました。

半日ではありましたが、大変学ぶことが多く、忙しいなか私のために自ら運転し説明をしてくださった福島かずえさんに感謝です。
岡山でいかしていきます。

真備歯科での職場学習会

倉敷医療生協真備歯科の職場学習会で真備町の災害対策の話をしました。
来年からの診療に向けて真備の実態や問題点、小田川の工事の問題など多岐にわたり質問がありました。
被災者に寄り添い診療活動をされている熱心な歯科のみなさんに頭が下がります。
いっしょにがんばりましょう。

支援物資を仮設住宅へお届け 第4弾

日本共産党議員団の要望が届いて木造で作られた仮設住宅です。
新しい木の匂いがして、とてもいい感じです。
入所者からはやはり「狭い」「音が響く」などこえもありますが基本的に満足度が高いのでほんとに良かったと思います。

しかし私は不覚にも、物資を集会所に並べる作業の時に、ギックリ腰をやってしまいました
だからずっと棒立ちのまま、みなさんの話を聞きました。
被災者のかたが、私のためにシップを貼ってくれて、困った時はお互いですよと励ましてもらいました。
あったかい交流ができました。

小田川決壊の調査視察

真備町へ国土問題研究会の皆さんが調査視察にこられ同行しました。
京都大学名誉教授で同大学防災研究所の研究者でもあった奥西一夫先生をはじめ河川災害の専門家が十人こられました。
小田川決壊の真相について、私の政務活動費を使い依頼をしておりこれからの真備町の復興に向けて大事な示唆をいただけることを期待しています。なんと六時間ぶっ通しで河川の決壊場所をめぐり詳しく視察されました。
これまでの調査の中間報告として、11月17日の西日本豪雨災害シンポジウムの基調報告で講演をしていただくことになっています。
ぜひみなさんご参加ください。